清王朝に伝わるひょうたん
 宋代から哥(ge)
と呼ばれます
時代時代に個性があって本当に見飽きません

武則天
有色単貫入
690-705
武則天
有色単貫入
690-705
北宋
徽宗官窯
南宋
官窯

二重有色貫入


二重有色貫入
金糸鉄線
玄宗
756-762
黒可窯
北宋
か窯
南宋
官窯

龍泉窯
武則天
690-705
白可窯

秘色越磁
北宋
徽宗官窯
南宋
龍泉窯

内府


貫入青磁 貫入は中国では悲しみの表現と思われます
 太宗期には李承乾 部分割り(水割り)貫入 あずき柚の壷 
李賢からはおおきな一つの割りのあるまさに貫入磁器がありました
武后盛期に青磁に自然着色で単色の貫入が生まれた模様

およそ則天武后の周滅亡後作られた金糸鉄線とその名を残す名磁も唐代白可窯とともに
706年 イトク太子 永泰公主墓とアンロク山墓に見られます 
玄宗期は上の黒か窯になりやがて衰退した模様です


徽宗帝と高宗
これの復古に情熱を傾けたのが徽宗帝でした 
 徽宗帝の個性でしょうか 白か窯独特の厚みのある白磁に繊細な貫入をすっきり入れました

子の高宗は大きなひょうたんを作ります ユウは梅子青 これも独特でいい感じです こうして皇帝の磁器はつづきます

雍正帝と乾隆帝
元は立派な台座に載せ龍の取っ手を付け、明は元の白磁をしのび、乾隆帝はあでやかな磁器を遺します 
雍正帝はレベルの高い皇帝のようで磁器をことさら愛し、新天地を広げます 

唐英

高宗
乾隆
1736-1796
高宗
乾隆
1736-1796
高宗
乾隆
1736-1796

明で絶えた鈞を外郎(ういろう 役職)唐英(雍正帝、乾隆帝に仕える)を
兎州(もとの鈞)に遣わし復古したのが郎紅 郎紅のひょうたんも見事です


西太后
清代末 西太后が庭のひょうたんを貢物の返礼に与えヒンシュクを買った話が残ります 
(彼女の集めた宝はうんざりさせるほど西洋的です 人物を見る思いです)
学術的な見方としては唐代、従来の青銅器から大きく器形を離脱した事がポイント 近代磁器成立期とみます

五代一覧

越磁秘色(ひそく)  呉越秘色  けい 定   柴窯  南唐
北宋一覧

可民窯  きん民窯 きん郡官窯  汝窯  汝新窯  徽宗表の官窯  裏の官窯

Southern Song Dynasty Guan ware
南宋一覧  宋銘  修内司官窯 郊壇下官窯  粉青青磁  竜泉窯


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