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法を訂正しました。2014/07/12
小さいのですが、よくまあこうも根気良く法を入れた、作ったものよ。
本当に気の遠くなるような製作だったでしょう。
ねりあげの難しさを、以前ネットで調べました。まず、各接合部(帯状のものの)の接着度、また面と面の接合部に
空気が残ると割れる、はじけるそう。それでこんな複雑な形を作る。至難のわざ。
鋳込みはできない。型に押し当てる。半乾きでないと、くっつかない。
刃物で整形した跡が残る。苦労している。
空気抜きの穴。法を生かす。ここに中国の陶家の心意気をみる。
マーブル(大理石) 英名です。なぜそういうのか、理解できます。
中国の陶家の心意気
当、瀬戸加藤家(母方実家 瀬戸2番戸)は中国から朝鮮半島を渡り日本に来た1000年前の渡来人。
妙に血が騒ぐ、執りつかれる訳。遺伝子DNAなのかな。
唐の末期、また宋の末期、多くの工人、陶家は一族を引き連れ、パトロン、皇帝をもとめ、
多くが朝鮮半島にも逃れます。南宋の時期に、ご先祖様は、竜泉窯にも行っている。
しかし宋の名窯、まして唐の名窯も見れなかった。
遺産と口舌
この母の実家と父成瀬には確執がありまして、父の死後、いろいろなわだかまりが氷解。
あるところ、父と私、徽宗と高宗のわだかまり。逆に私は、父の家業を次男ですが継ぎます。
父の遺産が、ほとんど、加藤の中国本家、陶家のやきものに変わる。ご覧のやきものですが。
それまで、嫌いではないのですが、日常食器以外、陶磁器には興味なかったです。50歳頃、今から12年前です。
ノリタケ、ミカサでもう十分。織部、黄瀬戸、志野は大きな食器棚に売るほどありましたから。
もともと父は名古屋赤塚の対米商社で、主にギフト用品を輸出していました。
瀬戸の陶磁器、岐阜関の刃物、新潟の金属器、静岡の木製品などなど
すべて、テーブルウエアのジャンル。
目は肥えていますよ。子供のころから、慣れ親しんでいますから。
海外雑誌も良く見てましたから。House beautyful.
このジャンルでしたら。
(飛鳥、奈良時代の古墳からでた焼き物にも、きちんと法がでる。研究者は知らない。)
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