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年輪の様に刻まれた時の重み。一日千秋。一年を2つにも3つにも区切って表す。

ようやく、陶家、または皇帝自身が、この練り上げの手法を使った訳が理解できました。

そういう事だったのか。つまり、高宗帝の苦悩の日々。それを表現したかったのか。

国をゆずる。退位する。それを決めた兄の死。その時作る壷。


すべて、一から高宗帝が作った。それでも良いのですが、恐らく両面張り合わせに、飾りで付けた指の跡も残るリボン。

口、ひもを通す止め具(4つ)、台座もすべて、単色のべージュ。これらはすべて高宗さんが付けた。

ですから御製になります。普通陶家にも、許されないことだからです。

ろくろと筆。これも普通陶家でも使えません。

御製(皇帝がみずから作るもの)。宮中の窯。北宋開封にあった徽宗官窯と同じ。

南宋では、宮中の窯が、修内司(備品、用品を管理、調達する部署)にあったと知られています。

修内司で皇帝が手を入れた。またすべて作ったとしても不思議ではない。

事実多くの御製と思われる焼き物を、高宗は遺している。徽宗、高宗はその意味でも御製のカリスマです。

徽宗帝も高宗も共に書家でもあり、優れた陶家でもありました。

そして今日まで、それらの事実は誰も知らなかった。



さて、さて、どなたに副葬された焼き物なんだろう。

下もすべて兄欽宗 副葬品と考えます。

左 003 片面17弁の花。 中 007 算木紋,34の刻み 右025 今回の34の印の練り上げ手。

プロファイルからは、義の法ながら欽宗と考える。

とても良く作られている。徽宗さんを凌ぐかもしれない。

12年間、民窯のものとばかり思っていました。同時期に磁州窯、建窯、吉州窯なども集めていましたので。

しっかり調べたことが全くないのです。今回、最初で最後のプロファイルになりそうです。

欽宗副葬品の場合 
満州の遊牧民 金。その水筒。

ポロで落馬。

それが元で、病気になり亡くなったと金の文書にはあるそうです。

人生を結構エンジョイしていた様子です。

大切な人質、金ずるですから。

連行された時28歳、62歳で亡くなったとすると34年間。

全面に作られた34の印。34年と診た場合です。

側面に付けられた飾り。山を数えると右に17、左に17.

34年間。

そのあいだに、それは多くのことがあった。

人生走馬灯のごとくとはいえ、高宗さんの人生は、もうこれは別格。いくら事情があるといえ、親も兄弟も奥さんも、どうやら自らが多く関与して、連行されたことは事実。

最後は国を半分失う。

2次大戦でドイツに攻められたドゴール将軍は南フランスに逃げ、臨時政府をつくる。しかし数年で、ナチスドイツは滅ぶ。フランスは今でも残る。

南宋は100年後、金を滅ぼした元に滅ぼされる。



         8年目 徽宗帝連行後死亡 023の蒜頭蒜胴壺 参照 

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