5期 洛陽 706年から710年 中宗韋后期 即天武后 706年の失脚期 洛陽の落日 2006 8/6 2008 2/3 更新 中宗はそれまでの銘を黒文字スタンプから刻印に変えます およそ宝と呼ばれる磁器は子の中宗らから母の墓に入れられませんでした 武則天に葬られたもの達の恨みでも晴らすように怨念めいた多くの磁器が入れられたもようです 多くがのち宋代 徽宗帝により復古されます
右端 高台から唐 武則天期 中華きん窯は純白の飾りの土を用い 驚く白さの磁器をつくる 白磁はケイ窯 のち定に喪の色として使われる 宋代には月白と呼びこの純白はおよそ見ない 昇る太陽 唐の太陽 やがて武后の死と共に沈みます
太陽はやがて薄日さす落日に代わります きんの柚裏紅 (ゆうりこう) はどうやらこうして誕生したもようです これ以後唐画は作られなかった
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唐代最高の磁器
武則天没後 この中宗は愛息いとく太子 愛嬢永泰公主墓の墓を作り直させます そして唐最高の磁器をつくり与えます 親の遺産といいますか母が育てた窯人達が作ります どんな気持ちで作ったのか 母親には宝と呼べるものはどうも入れなかったようです この時 まるで建築デザインコンペのように3代著名陶家が活躍します か夏 星神 か芸 の3窯です 則天武后による イトク墓 永泰墓 夫ブエンキ その他 中宗による イトク墓改葬 永泰墓改葬 紅柚 紅斑磁器も多い中 藍色 孔雀柚(下にあります)など作られます また貫入青磁の3大名作と名を遺す 金糸鉄線 白か窯 米色か窯が入れられます 貫入は悲しみの磁器です 金糸鉄線がはじめて作られます きんの文字は明代万暦期のヒキで消されたもよう つまり万暦帝は手元にこの壷を置いていた事が分かります
ひときは華麗な孔雀柚の壷 |
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